コラム1 『ゴドーを待ちながら』について (『朝日のような夕日をつれて』)

相変わらず、休日は芝居作成中です。
いよいよ、一ヶ月を切ったわけですが、非常に面白く考えさせられる作品なのでその背景とか、情報をコラム形式で載せていきます。少しでも興味持った方がいれば、是非ご連絡くださいませ!
https://stage.corich.jp/stage/100768

【本作品について1】
今回上演予定の『朝日のような夕日をつれて』は1981年に鴻上尚史氏22歳の時に書かれた作品です。この作品のベースとして、更に30年程前の1940年代後半に描かれた、サミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』があります。

『ゴドーを待ちながら』とは、現代演劇の転換点になった作品です。メインとなる登場人物はウラジミールとエストラゴンという二人で、内容はタイトルにある、ゴドーという人物をただひたすらに待ち続けているというものです。

この芝居において、ゴドーという人物は出てくることが無く、どのような人物かも明かされるがありません。(作者のベケット自身も語ることがなかったようで、上演予定の俳優が「演出も知らないのか!」と怒って降板したようなエピソードがあるそうです)。作品の後半には、『朝日のような夕日をつれて』のタイトルモチーフになった「(太陽が)まるでのぼつているようだ」「そんなはずないよ」という台詞が呟かれ、繰り返しの世界が想起され、二人は永遠に待ち続けている様で終わります。
かつて、ストーリーの展開があって当たり前だった演劇を、「ただ待つだけ!」という、ドラマが無い様から当時の人間を描いた内容として不条理演劇の傑作とよばれ、後の作品に多大な影響を及ぼすことになります。

本公演はそんな作品をモチーフに描かれています。「ただ待つ」ということ。そこから考えることできる、相手の存在への問いかけは、現代の生産性向上への考え方と逆行していくと思います。

今日はこんなところで!また次回!!
沢山の観劇お待ちしております!!

劇団あんちょび

農大劇研OBで結成された東京都で活動する社会人劇団。テクノロジーの進化の中で、置き去りにされる人本来の姿への問いかけのため結成。「役者の肉体が舞台をつくる」泥臭さとエネルギッシュさが魅力。

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